なぜ自分はVtuberにスパチャしたりほしいものリストから物を送ったりしないのか

Vtuberコンテンツをがっつり見るようになって早3年弱。

よくもまあ、こんな長きにわたって飽きずに見てるなと思う。

しかし、3年弱Vtuberコンテンツに親しんできているが自分は今までスパチャ(スーパーチャット、いわゆる見返りのない投げ銭)をしたり、Vtuberが公開しているAmazonのほしいものリストから物を送ったことは一度もない。

Vtuberのリスナーはよく推しの配信中にスパチャをガンガン投げてるし、ほしいものリストを公開していればそこから自分がお金を出して物を送っている。

なんならそれこそがVtuberファンのやるべきことと言わんばかりにやってたりするし、リスナーによってはそれをやらないのはコンテンツに金を払っていないのと同じだなどと過激なことを言う者もいる。

もちろんそれをやりたい人はやればいいし、Vtuberがそれらを求めることに関してどうこう言うつもりはない。勝手にしてくれって話である。

しかし、それらを一切やらない者に対して

「コンテンツに金を払わないクソ野郎」とか

「推しに数百円程度も払えないなんてどうなの?」という過激な意見をちらちら見るようになった。

しかもこれを配信者もファンも両方言ってたりするのだ。全く手に負えない。

さっきも書いたように推しに貢ぐことなど勝手にやれば?と自分は思っている。

とはいえ、それを他人に押し付けようとする人間にはそれなりに反感も抱くし、こっちにもちゃんとした理由があるんやで?と言いたい。

3年近くVtuberコンテンツを見てきて、なぜ自分は一切スパチャを投げたりほしいものリストから物を送ったりしないのかその理由を3つに分けてつらつらと書いていきたいと思う。

金を出すなら口も出す人間だから

まずこれ。

僕の人生は99.9%お金に困る人生であった。

今でこそいわゆる「推し活」ができる程度の収入の余裕はある。

しかし実家は貧乏で学生時代はいつもお金に困ってたし、社会に出てからほんの数年前まで長時間低賃金労働のクソブラック企業を転々とせざるを得なかったのでホントにお金に困る人生だった。

長い時間貧乏な人生を送ってくるとお金の大切さが身に沁みてわかるというメリットはあるが、それ以上にデメリットがある。

それは「お金に対する執着心が大きくなる」ということだ。

これがどう影響するのか。

「お金を出す以上口も出す」人間になるのだ。

スパチャを送ったり、ほしいものリストから物を送っても見返りは全くない。

名前とコメントを読まれてお礼を言われるが、それ以外で別に見返りはない。

ただお金や物を送るだけ。

普通の人は純粋に「がんばれよ!」という意味を込めて一方的にお金や物を送っても見返りを一切求めないし、配信者と一定の距離を保つことができるのだろう。

しかし自分はそれができる自信が全くない。

一切見返りなくお金や物を送ったら、無意識のうちに「これだけ応援してるんだから」という思いが絶対に出てくる自信がある。

それこそVtuber界隈で迷惑行為に分類される「指示厨(あれしろこれするなと直接配信者に指示する人)」になったり、自分は普段からお金や物を送って支えてるんだからと気が大きくなってリスナー代表になったかのような気になって他のリスナーに指示したり。

配信者との距離感がバグった挙句、ツイッターで何度も迷惑DMを送ったり。

いわゆる「厄介オタク」に100%なる自信がある。

そのかわりグッズ販売だったりメンバーシップだったりといった、物やサービスの購入という形の応援はする。

なぜならそのやり取りをした時点で五分五分だから。お金を出す、物やサービスを受け取るということでプラマイゼロだからだ。

こういった物やサービスの購入という等価交換ですら、ときどき「なんだその発言は、行動は!」という思いが無意識のうちに出てきたりするのだから、こんなヤバい奴がスパチャやほしいものリストで見返りのない贈り物などやりだしたらどうなるか。

早い話が自主規制である。

配信者がコメントの取捨選択をする自由を奪わないため

これはスパチャの話。

企業勢でも個人勢でもスパチャを投げると名前とコメントを読んでお礼を言うという一連の流れがある。

つまりスパチャを投げて自分のコメントや名前を「強制的に」読ませることが可能なのだ。

同時接続者数が一桁二桁台の個人勢だろうが、数万人規模の企業勢の人気配信者であろうがスパチャを投げれば自分の名前とコメントを読ませることが出来る。

当たり前のように聞こえるが何気にこれはヤバいことではないか?

こういうことを書くと「配信者は迷惑なコメントの入ったスパチャは読まないことを明確に表明している」というだろう。

しかし、自分が見る限り実際にスパチャを無視してるのを見たことがないしコメントの内容に対して苦言を呈するというのも結局そのリスナーに触れている、注目しているという点では全く同じである。

一方的に何の見返りなくお金を送られているのに無視するなどまず不可能。

別に自分はスパチャを投げたっていいのだ。それだけの金銭的余裕は今はある。

ただ本来youtubeの配信は配信者が自由にやるものだし、当然どのコメントを読むか読まないかも配信者の自由であることは言うまでもない。

その大原則をスパチャはかんたんにぶっ壊すのだ。

配信者側のコメントを読む読まないの自由を守るために、スパチャを投げてまで「強制的に」コメントを読ませるという行為をやらないのだ。

ちなみにこれは最近出てきた「マイルストーン(メンバーシップ加入何カ月をコメント欄でアピールする機能)」も同様である。

これも自主規制。

「応援」はするが「支援」はするつもりがないから

最後はこれ。

出来る限り「応援」はするが「支援」はするつもりがないからである。

応援と支援、言葉は似ているが全く違うものだ。

スパチャでお金を送ったり、ほしいものリストから物を送ることは「応援」ではなく「支援」だと思っている。

実際、配信者がお金に困ってそうな様子だと「○○代にどうぞ」というスパチャが飛ぶし、配信者がこれまた特定の物がほしいとか話すと「ほしいものリストに入れておいてくれたら送るよ?」というコメントを見かける。

配信に対する応援ではなく、配信者の生活を支える「支援」になってるのは明らかだ。

しかし支援というのは「相互支援」という言葉があるように、本来は持ちつ持たれつ、助け合いという意味を持つ。

リスナー側が配信者に「支援」することはあっても逆パターンはまずありえない。

もし自分が仮に今後仕事がなくなって収入がなくなったり、病気や事故などで生活が大変になった時
それまで「支援」していた配信者が自分を「支援」してくれるか?

絶対にありえない。

自分が困った時に支援してくれないのが明らかな人間をなぜ一方的に「支援」しなければいけないのか。

だから支援をするつもりは一切ない。

もし自分が困った時に支援すると明言する配信者がいるならスパチャやほしいものリストを通した支援をすることも考えるがそんなこと100%あり得ないのでやらないのだ。

これは自主規制ではない。

まとめ

ここまでだらだらとスパチャを送ったりほしいものリストから物を送ったりしない理由をダラダラと書いてきた。

結局理由としては8割自主規制である。

スパチャもほしいものを送らない理由が自主規制で、それによって配信者側の自由を守っているとかふざけてるのか?黙ってスパチャやほしいもの送って配信者助けろやと思われそうだがいたって真剣だ。

僕がスパチャやほしいものを送らなかったせいで配信活動を辞めたとしても残念ではあるが別にご自由にどうぞである。

「推しは推せるときに推せ」という言葉を使っておまえが支援しないと推しが引退しちゃうよ?みたいなことをツイッターで流してる配信者やリスナーがいるがよく言えたもんだと思う。

コンテンツそのものではなく同情で人を集めようとするなど言語道断である。そんなやつは今助けたところでいずれ恩をあだで返す形で消えるので応援や支援する価値などない。

住所も名前も連絡先も知らない、会ったことすらない人間からお金や物をもらう、あるいは送るという「異常な事」にみんな慣れ過ぎである。

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